マーライオン「ばらアイス」インタビュー:後編

文:天野龍太郎


苦難の2016年

――マーライオンの2015年は暗いことばっかりが起きたわけだ。

「そうなんですよ。2015年、なにしていたんだろう……。ほんとうに、はたらいていたんですよね、ふつうに」

――曲はつくっていたの?

「あんまりつくっていないんですよね。ただ、“ばらアイス”の歌詞は書いていたと思います」

――“ばらアイス”は2015年にはすでにあったんだ。

「そうですね。そのころ、曲のつくりかたが変わって。スランプで歌詞を書けなくなっちゃって、単語だけメモしていた時期なんですよ。大学にバラ園があったんですけど、その亡くなった友だちとよくバラ園に遊びに行っていたんです。そこでばらアイスを食べた記憶があって、『ばらアイス』って言葉がいいなって思って、それでメモしたんです。
それと並行して、ラップのアルバムもまたつくろうってなって、方便さんたちととんかつをテーマにした曲をつくろうって言っていたんですけど、いろいろなことが重なって、ぼくが気乗りしないっていうのもあって、つくれなかったんですよね。ライブを定期的にやるので手いっぱいだったんですよ。止まっていないように見せるのが、ぎりぎり手いっぱい」

――そのころのライブは新曲はない状態でやっていた?

「やっていましたね。3部作の曲を中心にずっとやっていて。
……でも、2016年がいちばんひどかったですね。2015年はまだ会社に入ったばっかりでわりと時間があったので、遠征のライブもやっていたんです。でも、会社に入って2年めになるとめちゃめちゃいそがしくなって。いそがしくなったんですけど、ダンスと演劇と音楽をコラボするイベントに呼ばれて……そのころからわりとぼくが望むようなイベントに呼ばれるようになって、でてたんです。そのころ、平日の仕事で、飛び込み営業でわりと(契約を)取っていたんですよ」

――成績がよかったんだ。

「はい。それで、評価されたからなのか、パワー系の上司が営業係としてついたんです。
そのあとに仕事がめちゃめちゃいそがしくなって……。そのパワー系の上司に胸ぐらをつかまれてお客さんのまえで怒られたこともありました。それで、体調を悪くしたんですよね」

――それで休職したんだ。

「で、いまのうちに好きなことをやろうって思って、ハワイに行きました。音楽は、そのあいだはやめようと思ったんですよ。ハワイから帰ってきて、大谷さんとのイベントをやろうと思ったら、扁桃腺が腫れて救急車で運ばれて、1週間入院して。
それから、大谷さんに『のんびりでもいいから、いまのうちにアルバムかシングルをつくれば?』って言われて、つくろうと思ったんですよね。そのタイミングでayU tokiOの猪爪東風さんとはなす機会があって、アユさんのレーベルでシングルをつくろうってはなしになったんですよ。
退院した直後、2016年の11月くらいに、友だちのエンジニアの家でシングルの録音をはじめるんですよ。それにあんまり納得がいっていなくて、これ、出していいのかなって悩んでいたときにアユさんと会ったんです。仕事が休みでひまだから、ギターを修理してもらう機会もあって、おうちに遊びに行っていいですか?お茶しませんか?って言って。
そのうち、ぼくが健康になっていくにつれて、以前の思考に戻っていくんです。以前は、つくったものはすぐにだしたい!って気持ちがあったので、すぐにだしたくなってきちゃったんです。Bandcampとかで、パッとつくってパッとだしたいって。アユさんは『1年かけてじっくりやろう』って言ってくれたんですけど、ぼくはそのとき、言うことを聞かなくて。アユさんには申し訳なかったんですけど、また1年も待てない!って思って。これからどうしていいかわからないし、仕事もやめようかどうしようか悩んでいるし。それで、アユさんに不義理をしてしまったんですね。アユさんはそれでも、『悩みながら一度はひとりでつくって、この先こまったときは頼ってくれてもいいよ』って言ってくれて。だから、結局、アユさんとは制作はしなかったんですけど、アルバムの構想とか形式ははなしていましたね」

――アユさんのプロデュースで作品をつくろうとしていたんだ?

「そうです。アレンジとか、コードとか……毎日LINEでやりとりしていましたね。『ばらアイス』の収録曲も、つくってすぐにアユさんに送っていたので」

――それが2016年の年末から2017年にかけて?

「そうです。“ばらアイス”のファルセットの部分も、アユさんに『Cメロがあったほうがいい』って言ってもらってつくったんです。だから、アユさんの影響が『ばらアイス』にはすごく出ているんです。でも、アユさんの状況もだんだんと変わって、鈴木博文さんのプロデュース(『どう?』)がはいったりして、いそがしくなってしまったんですね。
それで、一度考え直したほうがいいなって思って、自主でだすことにしたんですよね。こればっかりはぼくが悪いので、ほんとうに申し訳ないことをしたなと思っています。それが4月くらいまでですね」

『ばらアイス』

――そのころには『ばらアイス』の収録曲はできていたの?

「“ばらアイス”はまだ単語と歌の入りのメロディーだけでしたね。3部作をつくったあと、歌のはいりって重要だなって思って。ハッとさせるようなイントロをつくりたいと思って、つくったんです」

――じゃあ、『ばらアイス』には古い曲はあんまりないの?

「2015年の3月に“ひなまつり”と“ばらアイス”のシングルをだそうと思っていたんです。ぼく、誕生日が雛祭りなので。イルリメの鴨田(潤)さんの弾き語りのアルバム(『一』)にすごく影響を受けて、“ひなまつり”を最後までつくれたのが今年にはいってからなんですよね。
“ひなまつり”のコード進行にすごく悩んでいたんですが、それは大谷さんとのイベントで曲づくりの悩み相談の会で『このコードがいいと思うよ』って言ってくれたのをそのままつけ足したでできあがったんですけど」

――“ひなまつり”は歌詞がいいよね。これは小学校についてのものなの? 中学校?

「それはわからないようにしたかったんですよ。小学校なのか、中学校なのか、高校なのかをぼやかしたように伝えるにはどうしたらいいんだろうって、なん十パターンも書き直していたんです」

――でも、学校についての歌詞ではあるんだ。

「そうです」

――なんで小学校なのか、中学校なのかをわからないようにしたかったの? 具体性を持たせたくなかった?

「そうですね。遠征のライブに行ったときに、固有名詞があると聞きにくいのかなと思ったので、どこでもやれるような曲がほしかったんです。“ひなまつり”は“ばらアイス”とシングルで出すつもりだったので、ものすごく歌詞を書き直しましたね。デモの数は200はあると思いますよ。曲の構成とか、どうやって終わるのかとか……」

――じゃあ、完成するまでにかなり時間がかかったんだ。

「めっちゃかかっていますね。3部作を出した直後から原案はありました。指で爪弾くような曲があったらいいなと思って」

――マーライオンの曲って、そうやって爪弾くような曲とか、アルペジオで弾く曲とかあまりないよね。

「そうなんですよ。 (“ばらアイス”と“ひなまつり”は)A面、B面で出したかったんですけど、爪弾きながら歌うっていうのに技術が追いつかなくて」

――いままでのスタイルとちがうから?

「そうですね。これを練習するのに時間がかかっていたんですよ」

――すごい弾き語りの初心者っぽい、はじめてギターを触ったひとみたい(笑)。

「そうです。不思議ですよね(笑)」

――『ばらアイス』を録音したのはいつ?

「2017年の7月末ですね。今年(2017年)、ART-SCHOOLを聞き直していたんですよ。いま、ああいうバンドってなかなかいなくて、すごいバンドだなって改めて思っていたんです。そのとき、どの録音にどのエンジニアがついているのかをめちゃめちゃ調べていたんですけど、家の近所の祖師ヶ谷大蔵にあるレコーディング・スタジオのエンジニアの方がART-SCHOOLを録っていらっしゃるって知って。その岩田純也さんがTHE NOVEMBERSとか、indigo la End、昆虫キッズも録っているって知ったんですよね」

――それで、その岩田さんに録音をお願いしようと。

「そうです。ぼくはずっとフォークじゃなくてロックが好きなので、ロックの作品をレコーディングしているところで録るべきだと思っていたんですよ。これまではレコーディング・スタジオで録っていないので」

――オルグとか試聴室とか家とかで録っているんだもんね。でも、今回はちゃんとスタジオで録ろうと。

「(これまでに)なん作品出しているんだってはなしなんですけど(笑)。岩田さんとの録音はほぼしゃべらずに、淡々と進んでいって。つぎ、行きます?って感じで」

――岩田さんは黙って録っているんだ(笑)。

「黙々と録っていましたね。あっ、このひとはこういうひとなんだって思って、すごく気が楽になって。いままでエンジニアと録るときは、いい演奏をしなきゃとか、下心みたいなのが出たんですよね」

――自分をよく見せようと、気負いが出るんだね。

「そうです。でも、『ばらアイス』は、じぶんをよく見せようとかはいっさいなく、ただ単に、ふつうに演奏するだけだったんです。だから、ほぼミスもなくできました」

――ワンテイクで?

「ほぼそうですね。“スロウムード”は一番新しい曲だったのでやり直したりしたんですけど、収録されているのは1テイクめなんですよ」

――岩田さんは特殊なマイキングをしたりはしなかった?

「そうですね。ただ、ぼくはアンプはJCが好きなのでそれを使うんですけど、岩田さんが『きみはもっとこうしたほうがいい』ってアンプのセッティングをやってくれましたね。ほんとうにそれだけですね。あとは黙々と、うん、つぎいこうかみたいな感じで」

――マーライオンはなんでアコースティックギターじゃなくて、エレキギターで弾き語りをするの?

「エレキが……好きなので……」

――ははは(笑)。

「爆音でめっちゃ掻き鳴らしたいときがあるんですよね。それがあるのでエレキでやっているんです」

――アコギでやろうと思ったことはない?

「アコギも使うことはあるんですけど、どっしり構えてやる日に使うって決めているので。エレキは、途中までしかできていない曲をむりやりやろうとか、テンションが上がっているときにしか持って行かないので」

――でも、『ばらアイス』はしっとりとした作品で、言いかたが悪いけど、暗い作品でもあるよね。だから、アコギでもできたんじゃないかと思うんだけど。

「ずっとエレキの弾き語りにはこだわっているところがあるので」

――アコギでやろうとは思わなかった?

「まったく思わなかったですね。選択肢にもいれなかったです」

――収録曲はほぼ今年(2017年)につくった曲?

「そうですね。“熱しやすく冷めやすい”は2016年につくった曲かな。今回のアルバムはボツにしている曲も結構あるんですよね。“息抜きしようよ”っていう曲とか。珍しくだし惜しみしているというか(笑)。いままではだし惜しみせず、できたからださなきゃ!って感じだったんですけど」

――歌を歌えないって思われているから、『ばらアイス』では歌を聞かせたかったって言っていたよね。制作ではそれを意識していたの?

「そうですね。『高校生のマーライオン』のイメージが強すぎて、ライブがこんなにいいと思っていなかった!めちゃめちゃいいじゃん!こんなにいいのになんで売れていないの?フェスに呼ばれないの?って言われるんです、ほんとうに。だから、以前のイメージを払拭したいんです」

――「叫び」じゃなくて、歌っているアルバムをつくりたいと。

「そうです。ちゃんとできるんだよって」

――歌の練習はけっこうした?

「しましたね。近所にリハスタがあるので。とにかくスタジオに入る頻度を上げて。町のリハスタなので、夜は空いているんですよ。皿洗いしたあとにスタジオにはいろう、とかできるんです」

――収録曲はライブでやっているの?

「最近はやっていますね。“ばらアイス”以外の曲は短すぎちゃって、あんまりやれていないんですけど」

――どの曲もすごく短いんだけど、どうしてこんなに短いのかなって思っていたんだよね。9曲入りで17分くらいしかない。平均すると、1曲2分くらい。それはどうしてなの?

「CM音楽をつくりたい欲があって。京浜兄弟社ボックスが……」

――短い曲が多いんだ。

「そうなんです。これだけ(音楽的な)バックボーンがあるひとたちが若いころにこれだけ曲をつくっていたんだって。小沢健二とかの曲は長いじゃないですか。聞いていて、正直、まだ(終わらないの)?って思うこともあるんです。極端に短い曲ってそんなにないなって思っていたので、それだったら、短い曲に一度振りきれるかって思って、つくりはじめたんですよね」

――じゃあ、意識的に短い曲をつくったんだ。

「そうですね。“スロウムード”は長いんですけど、短い曲をつくりすぎたので、最近は長い曲をつくろう、多少長くしたほうがいいなっていうのがあるんです(笑)」

――“スロウムード”や“花言葉”はコミュニケーションについての曲だと感じているんだけど――たとえば、LINEとかTwitterとか、そういうSNSやあたらしいツールを介してのコミュニケーション。この歌詞はどういうものなの?

「はたらきはじめてから、社会性をようやく身につけたんですよ」

――ははは(笑)。

「営業で、ひとのはなしを聞く仕事なので。だから、ひとに会わないとはじまらないなって思ったんです」

――それが、今回、「タオルハンカチ付きCD」を個人のお店で売りたいっていうことにつながっているんだ。

「そうですね。ちょっとエンジニアの岩田さんのはなしに戻るんですけど、ぼく、indigo la Endがあまり好きじゃなかったんですよ。好きじゃないけど、曲が頭に残っているんです。それはなんでなんだろう?ひょっとして好きなのかな?って思っていて。ヴォーカルのひとはわかるけど、メンバーのひとたちはどんな顔をしてこの曲を演奏しているんだろう?って思っていたんです。ここまで好きじゃないバンドってはじめてだったんですよ。でも、音楽が耳には残るんです。それってすごいことだなあって思って。それを録音しているひとを調べたら、岩田さんだったんです。
いい悪いとかを置いておいて、(聞いたひとの)耳に残るっていう目的があったので、岩田さんに(録音を)お願いしたんです」

――“花言葉”の「いい人ごっこは終わりだ」という歌詞が印象的なんだけど、これは? かなり強い言葉だよね。

「ひどいことがあって。ギャラがいくらでライブをやってくださいと(オファーが来て)、その日はどうしても予定があって、出演時間を短くしたら出られますって言って、でたんです。そうしたら、ギャラが払われなかったんです。えっ、うそでしょう?みたいな。ぼくより10歳くらい上のひとが、むかしからのつきあいじゃんとか言うんですよ。ひょっとしてぼくは大人を見る目がなかったのかなって思って。ちゃんと言わなきゃいけない場面が増えてきたなって」

――泣き寝入りしないと。

「そうですね。泣き寝入りはしたくないですよね、ほんと、これ以上は」

――“ハワイ”はまさしくハワイに行ったときについての曲?

「そうですね。“ハワイ”はタイトルをつけるのに悩んだんです。今回、珍しく、タイトル(曲名)をつけるのにめちゃくちゃ悩みがあって」

――以前はもっと瞬発的につけていた?

「そうです。タイトルを決めてから曲をつくっていたんです」

――ははは(笑)。すごい。

「“ばらアイス”と“ひなまつり”はそうなんですよ。でも、最近の“スロウムード”は最初、“ラブソング”っていうタイトルだったんです。どっちがいいのかなって思いながら。最近の曲は、タイトルはあとづけです」

――“ばらアイス”は恋愛の曲かと思ったんだけど、さっき言っていた友だちについての歌なの?

「恋愛の曲にも聞こえるようにしているんです。ただ、事故で亡くなっちゃった友だちの曲でもあるので」

――やっぱり、どっちともとれるような、両義的な歌詞にしているの?

「そうです。あえてオブラートに包みたくて。どこまで想像してもらえるかっていうか」

――余白を残した?

「そうです。それに挑戦した曲だったので。いままでははっきりとしたことしか言えなかったんですけど。想像できる余白を残すことに挑戦した曲です」

――そういう歌詞の書きかたは、最近そうなった?

「最近ですね。いままで、音楽をつくろうと思ってつくったことがなかったんですけど……」

――いままでは音楽が湧きでてきていたわけね(笑)。

「そうです(笑)。それで、一回全部出しきったので、今後はこうしたらいいんじゃないかとか迷いながら、試行錯誤しながらやっていたんです。亡くなった友だちに、『めちゃめちゃあかるいミニ・アルバムをつくればいいじゃん』って言われたことがあって。アルバムの終わりにプロポーズをするものがあったらいいなって思って、それで“ストーリー”が最後の曲なんです」

――「プロポーズで終わるアルバム」っていうのは、ひとがやっていないことがやりたかったっていうこと?

「そうですね」

――アルバムを聞き終えたあとの余韻がすごいよね。これはおもしろいと思う。“ストーリー”はいままでにない曲じゃない? これはアルバムを想定してつくった曲なの?

「そうです。(曲順を)最後か最初かで悩んでいて。最後にこの曲を録音して終わったんですよ。それで、すごく満足して帰れたので、(アルバムの)曲順も“ストーリー”が絶対に最後だなって」

――すごく情景描写的な歌詞だよね。

「この歌詞は、ほんとうは方便さんたちとラップでやりたかったんですよ。サブカルチャー版の湘南乃風の“純恋歌”みたいなアンセムをつくろうってはなしをしていて(笑)。そのサビ、フックで書いた詞なんですよ。でも、ラップは制作に至らなかったので、ラップの部分を全部削って、こうなったんです。ほんとうはもっと長いんです。人物の設定もめっちゃ細かくて、『明治大学卒業』とか(笑)」

――ははは! じゃあ、完全にひとつのフィクションをつくるつもりだった?

「そうだったんですけど、ぼくも方便さんたちも挫折したんです(笑)」

――つまり、ラップのストーリー・テリングをしたかった?

「そうです。方便さんがやったほうがいいって勧めてくれて。実話じゃなくて、つくったはなしでやりたいよねって」

――やっぱり、これまでのマーライオンの歌詞は自分の経験をもとにしたものしかなかったの?

「ほぼそうですね。でも、今回はそういうのは置いておいて、べつの、ひとの人生というか……」

――他人を想像してつくった? 物語として、フィクションをつくった?

「そうです」

――これまでとモードが全然ちがうよね。

「ちがいますね。だから、ひとによってはぜんぜん好きじゃないんだろうなって」

郊外、疎外感、孤独感

――ははは(笑)。“熱しやすく冷めやすい”の「田舎だなって生まれ故郷をバカにしてきた」っていう歌詞もフィクション?

「それはちがいますね。ぼくの周りにじぶんの地元が好きじゃないひとって結構多くて。郊外に住んでいる友人って、そういうのが強くて。そういうひとに聞いてもらえたらいいなって思ってつくりました」

――聞いたひとが共感できるような歌詞っていうことね。マーライオンの曲って「郊外」がテーマにあると思うんだけど、それはなんで?

「都会へのあこがれですかね(笑)。いまはないんですけど、むかしはあったんですよ。どこかへすぐ、気軽に出られるようなアクセスのよさとか(へのあこがれが)。姫乃(たま)ちゃんは下北生まれなので、終電が遅くなっても仕事ができたりするんです。都会に住んでいるひとは、ひととはなせる時間が長いじゃないですか。それにすごくあこがれがあって」

――都会暮らしのひとは夜が長い?

「そうですね。終電を逃しても歩いて帰れるとか、そういう距離感のはなしですね」

――郊外にコンプレックスがある?

「若干ありますね。でも、いまはそうでもないですね。仕事をしはじめたおかげなんですけど、一見なんでもないおじいちゃんおばあちゃんでも、ひとそれぞれにドラマがあるってことに気づいたんです。他人にはなすから、一番おもしろいはなしをしてくれるんです、じぶんの人生のなかで。そういうはなしを聞く仕事だったりするので」

――郊外にはドラマがないって思っていたの(笑)? ははは!

「そう思っていたんです。めっちゃ失礼なんですけど」

――マーライオンはじぶんの人生もドラマティックなものではないと思っていた? 都会にしかドラマはないんじゃないかと?

「そういうことは起きないと思っていましたね。(考えが)凝り固まっていたので(笑)」

――でも、他人と関わることによって、そういうふうに視界が開けるようなことはあるよね。はなしを戻すけど、都会っていう中心に対して、郊外は周縁なわけだよね。周縁はそれはそれで重要だけど、マーライオンの曲って、“蚊帳の外 街の中”で歌われているように、疎外感がテーマになっていることが多いよね。中心からはずれて周縁にいるとか、会話や社会的なコミュニティとかに溶け込めないという気持ちを歌にぶつけているようなところがある。マーライオンは、日々そういうことを感じて生きている?

「感じますよね。カモフラージュのしかたは、おとなになったから多少は身につけましたけど、感じますよ。むかしは特に強かったですね。新宿の伊勢丹なんて行けないなって思って(笑)。ライブハウスでも、いまだにありますからね。だから、こまっているひとがいたら、じぶんからはなしかけたりします。嫌な気持ちで(ライブハウスから)帰ってほしくないなって。まえは疎外感を抱えていただけなんですけど、最近はそれをなくすためにどうしようかなって考えています」

――他人が抱えている疎外感に対してもコミットするということ?

「そうです」

――「疎外感」ということで言えば、たとえば、マーライオンのライブに不快感を示すひとも多かった?

「多かったですね。高校生のころに、胸ぐらを掴まれたことがありますもん。ライブが終わって、片づけていて、楽器をケースにしまった瞬間に腕が飛んできて、『なになになに!?』って思ったら、『おまえなんなんだ、あの曲は!?』って言われて。なんだこの状況はと思って」

――ははは! ただ演奏しただけなのに。

「自分が演奏しただけでこんなにひとが暴徒化するなんて、どうしようと思って(笑)。謝る理由はないんですけど、すいませんって言って。ライブ中に野次を飛ばされたりとか」

――澤部さんや曽我部さんのようによくしてくれるひともいるけど、東京や横浜の音楽コミュニティのなかでも疎外感は感じていた?

「常にありましたね。ぼくは拠点がころころ変わるんですよ。最初の拠点だった下北のガレージは同年代が集まるところだったんです。閃光ライオットがはじまったくらいで。そこでソロでやっていたのはぼくだけだったんです」

――みんな、バンドをやっていた?

「そうです。みんな、バンドメンバーでしゃべったりとか、バンドどうしでしゃべったりとかしているんです。ぼくも(輪に)はいってみるんですけど、なになに?みたいな感じになって、得体の知れないものがはいってきたみたいな」

――ははは(笑)。

「それで、ガレージにはでなくなるんですよ。そのあとはCAVE-BEにでるようになって、THEラブ人間とか、いろいろと教えてくれた先輩がたはよかったんです。でも、みんな順当に売れていったんですよね。お客さんにはいいひともいれば、厳しいことを言うひともいるんです。それで、苦手なお客さんが来るから、先輩がたのライブにも行かなくなっちゃったんです。わざわざ嫌な気持ちでライブを観たくないしと思って、遠ざかるんです。
唯一、オルグはそういうことはなかったですね。オルグがやっと、そういう疎外感をなくしてくれて。場所って大事なんだなあって、やっとそのときにわかって。地元にそういう場所があったらいいなと思って行くようになったのが試聴室(その2)なんですよね。
今年(2017年)から変わってきましたけどね。病気がきっかけで仕事を休んで、考えを改めて、まえよりはそういうことを思うのは減ってきましたけど」

――自分の被害者意識が強かったんじゃないかと思ったっていうこと?

「そうですね。反省して。それも自分の負担だから、負担を減らさなきゃなあって思って。今年になってTHREEによく出るようになったんですよ。『THREE会』っていう1990年から1994年生まれのひとがDJをやるイベントがあって、ぼくも一応、その主催のひとりなんです」

――そこに集まるひとたちは自分に近いと感じる?

「そうですね。だから、疎外感を感じないほうにからだが向けばいいなって思っているんです。マーライオンを名乗って8年くらい経って、いろいろなひとを見てきましたけど、周りに音楽をやめていったひとも多いなって感じますね」

――マーライオンは音楽をやめようと思ったことはない?

「ありますけど……ここまできたらやめられないですよね(笑)。もしやめようと思って、なんか月かなにもしない期間があったとしても、たぶん、戻ってくるんじゃないですか」

――周囲のミュージシャンが売れていくなかで、取り残されたような気持ちはある?

「ありますね。柴田(聡子)さんとか、姫乃ちゃんとか――ぼくがイベントに呼んだひとはみんな売れていくんですよね(笑)。
ぼくのファンっていないと思っていたんですけど、ある友だちが『同級生がめちゃくちゃ(マーライオンの)ファンなんだけど、恥ずかしがってライブには行けなくて、ずっとCDを聞いてるやつがいるんです』って言ってくれたりとか、そういう人づてにファンがいるっていうことは聞くことがあるんです。類は友を呼ぶじゃないですけど、みんな恥ずかしがり屋が多くてライブに来ないんですよね(笑)」

――マーライオンの音楽を孤独に聞いているひとが多い?

「どこでぼくを知ったんだろうっていうOLのお姉さんにTwitterでフォローされたり、謎なんですよ(笑)。でも、そういうちゃんと聞いてくれるひとたちを確実に増やしていくほうにシフトしたほうがいいのかなって感じています。これは悩みが尽きない話題なので(笑)。でも、今更悩むこともないので、去年は真剣に考えていましたけど、なるようにしかならないなって」

(2017年10月21日、マーライオンの自宅にて)

どこにも属さない、あるいは属せないマーライオンの歌は、彼が共感を寄せる倉内太やスカートの澤部渡といったソングライターのそれとはすこしちがっているのかもしれない。マーライオンの歌は、一貫して「ナーヴァス・ヤング・マン」の歌だ。それはフェスティバルの聴衆を熱狂させる類のものではないし、あるいはひょっとしたら、うっとりと聞き惚れるようなものでもない。それは、それぞれ隔てられた部屋に置かれたろうそくにひとつひとつ灯をともしていくような、繊細で、替えのきかない表現だろう。『ばらアイス』はまさに、そんな作品であるはずだ。