実家に2日間泊まった話。
久しぶりに実家に戻った。
随分と会っていなかったおばあちゃんに会いに行ったのだ。
以前おばあちゃんが倒れたとき、当時働いていた職場が近かったこともあり、昼休みにおばあちゃんの病院にお見舞いをいった。
会うのはそれ以来だった。そのときは、僕のカレーが好きな話に付き合ってもらった。
おばあちゃんは元気そうだったけど、ただすこし小さくなっていた。当たり前か。80超えてるのだもの。
80オーバーの人間と、20そこそこの人間の時間の経ち方には大きく違うのだなと、そのとき思った。1秒が重い。
僕の家は、音楽をやることに大反対の家だった。門限も高校生の時にはあった。家でギターが禁止だったこともあり時間がないからと、下北沢のライブハウスのステージ上で曲を作っていた。今考えれば曲もどきのようなものだったかもしれない。その時の曲はここから聞ける。
17,18歳の一時期、同年代のバンドマンはみんな音大に入ったり、家族がライブに見に来ていたりして恵まれているなあと嫉妬に駆られていたときもあった。
唯一、当時おばあちゃんだけには、音楽をやっていることを伝えていた。何度かおばあちゃんの家に逃げるようにして楽器を弾きにいったこともあった。
おばあちゃんは、その頃から応援してくれているのだ。
僕は今年、久しぶりにCDを出したこと、ずっと夢だったレコードになったこと。ツアーをしたこと。
シンガポールからミュージシャンを呼ぶことなど、作品を見せながら今年遭遇した色々な出来事をはなした。
oyasmurさんとペ子さんのイラストや、ともまつさんの写真を見せると、ものすごく喜んでくれた。
主に、アートワークはこの2人にお願いしているけれど、そういう意味でもおばあちゃん孝行になったのだ。
ふたりのイラストは可愛いと言われるけど、凄みが線一本一本から感じる。すごい作品だ。
形あるものを作れてよかったんだなと、心の底から嬉しくなった。
おばあちゃんは、終始嬉しそうで。ああもっと早くにきていればよかったと思った。距離が遠くなかなか会えないけれど、また来よう。
一人暮らしのあいだに時間を無駄にしてしまったんじゃないかと悔いた。
おばあちゃんとも1時間以上も話していると、おばあちゃんが元気に歩き回っていた頃の顔色に戻ってきた。
実家がある街がそんなに好きじゃなかったのだけど、やっぱりここが生まれたところだなと感じる。
最近、兄貴が映画祭に入賞した。この作品も端から見たらかなり時間がかかった。
いいものは必ず評価されると思っています。
この言葉には、どこかしらに見えない()が存在して、そこには(時間はかかるけど)という文字が入る。
でも、兄貴も映画監督として、作品を作り、ときには他の映像仕事もやりながら、生活をしている。先月はフランスに行ったらしい。すげー。
住む町も、やることもすべて自分が決めていいのだ。誰と一緒にいるか、何を食べるか。
その都度、ベストな方法をとることは、なんて山道なんだろうと思う。
失敗も多い。凹むことも多い。その都度、誠意を持ってできればと思う。
実家に2日間も泊まるのは、久しぶりだ。
戻っても日帰りが多かったからだ。
夜になると、すぐ近くを走っている新幹線も通らず、とても静かだ。
こんなに静かだったのかと驚く。
静寂。
夜の考え事。
たまには、こういう気持ちも残しておこうということで、書いてしまった。駄文かも。
明日から曲を作る元気がもらえた。